広島高等裁判所 昭和63年(ネ)31号 判決 1993年12月20日
第一六号事件控訴人・第三一号事件被控訴人(以下「一審原告」という。)
波多野美幸
右訴訟代理人弁護士
中尾晴一
第三一号事件控訴人・第一六号事件被控訴人(以下「一審被告」という。)
国
右代表者法務大臣
三ケ月章
右指定代理人
富岡淳
外五名
主文
一 原判決中、一審被告の敗訴部分を取り消す。
二 一審原告の請求を棄却する。
三 一審原告の控訴を棄却する。
四 訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
(第一六号事件)
一 一審原告
1 原判決を次のとおり変更する。
2 一審被告は、一審原告に対し、二一五〇万円及び内二〇〇〇万円に対する昭和五七年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(当審で請求減縮)。
3 訴訟費用は第一、二審とも一審被告の負担とする。
4 2項につき仮執行宣言
二 一審被告
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は一審原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
(第三一号事件)
一 一審被告
主文と同旨
二 一審原告
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は一審被告の負担とする。
第二 当事者の主張
当事者双方の主張は、次のとおり削除、訂正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の補正及び訂正
1 原判決三枚目裏二行目の「認められ」の次の「られ」を削除する。
2 同八枚目裏九行目の「官舎」の前に「病院敷地内の」を加え、同一〇行目の「翌九日午前零時ころ、デカトロン」を「翌一〇日午前零時ころ、デカドロン」と改める。
3 同九枚目裏六行目の「人口」を「人工」と改める。
4 同六枚目表七行目から九行目までを次のとおり改める。
「(四) 弁護士費用 一五〇万円」
5 同裏一行目から六行目までを次のとおり改める。
「5 結論(当審で請求減縮)
よって、一審原告は一審被告に対し、民法七一五条または国家賠償法一条一項の不法行為による損害賠償請求権あるいは診療契約の債務不履行責任に基づき、弁護士費用を除いた損害金合計四六〇四万九二七〇円の内二〇〇〇万円とこれに対する不法行為あるいは債務不履行の後の日である昭和五七年八月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金及び弁護士費用一五〇万円の支払いを求める。」
二 一審原告の主張
1 医療行為は、人命を預かる重要な行為であり、医師側には当然高度の注意義務が課せられている。
医師は診療を引受けた時点から、患者に対し、適切な問診、検査、診断、投薬、専門病院への転送等の義務を負い、患者の生命、身体を保護する危険管理の責任があるのみでなく、説明義務等を通じて、患者側が適切、有効な治療を受ける機会を確保することができるように配慮することが要請されている。
2 亡波多野元(以下「元」という。)が、国立山口病院(以下「国立病院」という。)において、医師藤本繁樹(以下「藤本医師」という。)の診察を受けたのは、昭和五七年八月九日、午後一〇時三〇分ころである。
原判決は、右初診の時点で、元の症状として、言語障害、麻痺、左右瞳孔不同などがあり、脳炎ないし脳卒中等の中枢神経系の疾患の疑いがあったことを判断し、すみやかに諸検査を行い、診断を確定させて、その診断に基づいた治療を行うべきであったと認定している。
医学的に左右瞳孔不同の症状は、重篤な状態をあらわしていると言われているところであり、藤本医師も中枢神経の疾患の疑いを認めていたのであるから、国立病院に脳神経外科の専門医がいないことからすれば、直ちに脳神経外科医のいる社会保険下関厚生病院(以下「厚生病院」という。)に転送させるべきであった。
しかるに、藤本医師は、元を入院させ厳重な観察をする必要を認めながら、藤本医師自らは病院敷地内の宿舎に帰り、看護婦が常時観察することもなく、検査も全く行われなかった。
3 看護記録によれば、同日午後一一時三〇分、元は発語不能、発汗多量、左側麻痺、流涙、左手左足痙攣、翌一〇日午前〇時、嘔吐、左上下肢不随運動、口唇しびれ、麻痺様興奮気味、午前〇時三〇分吃逆、午前〇時四五分嘔吐、口がくがく、その後散瞳継続、呼名しても開口かすか、痙攣、発汗、呼名しても発語なしと記載されている。看護婦は、その間二度にわたり、藤本医師に対し、元の症状を報告しているが、藤本医師は注射の指示をしたのみである。
藤本医師が、午前二時四〇分ころ看護婦の連絡を受けて来院し、再度診察した午前三時ころの時点では、元の意識は殆どなく、瞳孔が開き気味で舌根は沈下し、重篤な状態になっていた。
仮に、藤本医師が、元の全身状態を常時観察していたならば、極限状態になる以前に気管内挿管により気道を確保し、人工呼吸器による酸素供給等の臨機の措置もとれたものと思われる。
しかるに、右気管内挿管に四〇分間も手間取るなど、時期を失しない適切迅速な処置がなされなかった。
これがため、元は厚生病院に搬送された時点では、散瞳、半昏睡、除脳硬直の状態になっていたが、このような全身状態の悪化は、すみやかに厚生病院に転送されていれば、避けられた可能性が考えられる。
元の病名は、劇症脳炎の可能性もあるが、結果的には解剖されておらず、確定診断は不可能である。そのため、臨床症状から判断せざるを得ないが、脳炎により脳浮腫が起こり、早期治療の機会を失わせたことで、頭蓋内圧亢進により全身症状が悪化し、それにより死亡したものである。仮に頭蓋内圧亢進が認められないとしても、処置の遅れがなければ、全身状態の悪化も避けられ、死亡の結果も避けられたものと考えられる。
もし、劇症脳炎であったとしても、救命の可能性は考えられるところである。
4 医療過誤における因果関係は、ある程度緩やかに考えるべきであり、医師の過失によって、症状の進行、悪化があったと通常人が考えられる状況があれば、認めるべきである。
厳密な立証は不可能であるが、初期の段階での検査により疾患特定の余地もあり、それに対応する治療、常時観察による緊急事態の把握、臨機の処置、呼吸管理の可能性等が考えられ、藤本医師の前記過失と元の症状悪化そして、最終的に死に至った結果との間には相当の因果関係があると認められるべきである。
5 藤本医師が元の診療に当たりとった措置は、医療水準上診療等に万全を尽くすべき注意義務に違背しており、元は患者として当然期待することのできる診察や治療を受けることができず、死亡したものである。
藤本医師は、不法行為責任ないし債務不履行責任を免れない。
三 一審被告の主張
1 元の国立病院における初診当時の症状
昭和五七年八月九日、元は国立病院に赴く際、自分で靴を履き、自宅から車まで走って来た程度の状態であり、同日午後一〇時三〇分ころ、国立病院に来院した元を診察した藤本医師は、同人の症状につき、上下肢のしびれ感あり、ろれつが回らず、顔面左半分に麻痺があり、左右瞳孔不同、左片頭痛を認めるも腱反射正常、四肢に麻痺はなく、意識状態は良好と診断している。同人の全身痙攣は認めておらず、同人の症状は一過性のものと判断している。
元は、病室に入る途中においても、「入院するなら暑中見舞いを書かんといけんから葉書を買ってきてね」、「今夜は病院におってくれるか」と、入院後にも「たばこがのみたい」、「音楽をくちずさみながらタクトをとっていた」等の会話を交わしており、意識もはっきりしていたのである。
したがって、これらをもって重篤な中枢神経系の疾患に罹患しているとの疑いを持つべき徴候と認めることはできない。
2 元の国立病院入院後の症状経過
(一) 同月一〇日午前〇時ころ、元の症状は左上下肢がピクピクと動く程度の局所的で軽微な不随意運動に過ぎない(鎮静剤アタラックスPの投与により、あるいは何らの薬剤の投与もなく、元の症状が鎮静していることが、その証左である。)。
(二) 同日午前〇時四五分ころ、元の意識状態はプラスであり、顔面痙攣も口唇部がピクピクする程度の極めて軽微なものであって、夜勤看護婦の藤本医師に対する報告もこれを踏まえて行われたことから、藤本医師は、元の症状に著明な変化はないものと判断し、病院に赴くことなく、同看護婦に注射の指示を行い、これに基づく抗痙攣剤ホリゾン5mgの投与により、元の症状は速やかに鎮静に向かったものである(ホリゾンの右投与量は、通常の二分の一に当たり、これによって、他の抗痙攣剤の重畳的投与の必要もなく元の症状が鎮静化したことは、右不随意運動が軽微なものであったことを明白に裏付けるものである。)。
(三) 同日午前一時三〇分ころ、元に認められた症状は、前同様左上下肢をピクピクと動かす程度の軽微な不随意運動に過ぎず、午前一時五〇分ころ、藤本医師が看護婦から元の症状経過について電話連絡を受けた際にも元には意識障害は認められない旨の報告を受けたことから、藤本医師は前同様の判断に至り、同看護婦に注射の指示を行うに止め、これに基づくアタラックスPの投与により、元の症状は速やかに、鎮静化したものである(アタラックスPの投与により元の症状が鎮静化したことは、右不随意運動が依然として、軽微なものであったことの証左である。)。
(四) 同日午前二時二五分ころ、元に認められた症状は、前同様左上下肢をピクピクさせる程度の軽微な不随意運動に過ぎない。
(五) 元の症状に著変が認められたのは、同日午前二時四五分ころ、入院後一貫して意識障害の認められなかった元が摂氏四〇度前後の高熱を発するとともに、急激に意識レベルが低下した時点であって、藤本医師は、看護婦から電話連絡を受けて、直ちに病院に赴いて元の治療に当たっている。
3 検査の要否と診療の経過
(一) 確定診断に要する検査を実施しなかったことについて
患者が中枢神経系の疾患に罹患しているか否かの確定診断のためには、CTスキャン、髄液検査及び脳波検査を行うが、右三検査は確定診断をするため、あくまで除外項目を探すためのものであって、それのみをもって確定診断ができる訳ではない。
また、右三検査を実施したとしても、確定診断を下すためには数日を必要とするため、その間は予想的治療を余儀なくされるものである。
心電図検査、血液検査及び胸部X線検査は、一般検査として必要とされるに過ぎない。
もっとも、急激な不随意性の筋肉の収縮が全身的に反復継続して現れる痙攣の場合には、患者が脳炎等の重篤な中枢神経系の疾患に罹患しているとの疑いをもって速やかに確定診断のための諸検査を実施しなければならない。
しかし、元の初診時の如く、その症状が局部的かつ軽微で、意識障害を伴わない状態においては、必ずしも直ちにCTスキャン等の諸検査を行う必要はなく、対症療法を施しつつ経過観察を継続することは、現代医療の水準に照らし医師の裁量の範囲内のものとして是認されるべきである。
また、脳炎や脳卒中等の重篤な中枢神経系の疾患を疑わしめる徴候は、全身性の痙攣よりも意識障害の存在であるにもかかわらず、元にはその徴候はなかったのであるから、藤本医師が脳炎や脳卒中等を疑わなかった点に過失はない。
(二) 国立病院における救急医療体制について
国立病院における救急医療体制は、いわゆる在宅当番医制を基礎とするもので、指定された当直医師が救急診療における初期の措置及び自己の専門領域に属する患者の診療を行うが、専門外の領域に属する患者の場合には、同病院の他の医師を緊急呼び出して診療に当たらせることとされているところ、本件において、藤本医師はまさに右の緊急呼び出しに応じて元の診療にあったものである。
緊急呼び出しに応じて診療にあった医師は、翌日も通常の勤務があるため、夜間患者の経過観察を行う場合には、必ずしも病院に止まって直接診察する方法をとる必要はなく、患者の具体的症状に応じて、自らは宿舎で休養し、看護学等の専門的な知識・経験を有する看護婦からの経過報告に基づいて適切な指示を行い、異変があれば、直ちに病院に出向いて直接診療を行うという方法をとることも許容されるべきである。
特に、藤本医師のように、病院敷地内に宿舎を有し、僅か数分の間に病院に駆けつけることができる場合には、これがむしろ夜間の救急医療における一般的な診療方法といえるのである。
厚生病院は、国立病院よりも遥かに人員、設備が整備されており、元が、転院してきた時刻は午前六時ころであって、しかも著しく重篤化した状態に陥っていたのであり、付き添って来た藤本医師からも十分な説明を受けているにもかかわらず、厚生病院でCTスキャンが行われたのは午前七時から八時の間であり、髄液検査に至っては入院から三時間を経過した午前九時二〇分ころに漸く実施したのであり、脳波の検査は実施されていない。
人員、設備が整備されている厚生病院においてさえ、実際には右のよう検査体制しかとられていないところに、医療機関における現実的な諸制約の存在することを認めるべきであって、この点を看過して藤本医師の対応を評価することはできない。
(三) 藤本医師の診療態度について
元の症状には著変があったことを伝えるものがなく、看護婦による経過報告の内容も前述のとおりであって、藤本医師のとった診療態度に、何ら非難されるべき点は存しない。
入院後は、心電図の観察、血圧測定等の検査及び点滴等の全身管理と意識レベルに重点をおいた看護婦による経過観察(定例の巡視に加えて適時定例以外の巡視も実施した。)がなされたが、その観察態度も患者の所見が一読できるバイタルサインカードを使用して詳細にその変化を記録し、かつ、嘔吐等の病変であってもその都度藤本医師に電話連絡の上、症状にあわせて適切な治療をしているし、藤本医師も病状に急変が生じた時点では数分後に来院しているのであるから、症状の急変が生じるまでは直接診療を行わなかったとしてもその診療態度に非難されるべき点は存在しない。
なお、元に付き添っていた一審原告も、嘔吐等の病変にはその都度医師に連絡するよう依頼し、急変時に初めて医師の来院を要請していることからみても、午前二時四〇分までの間の症状に著変があったとは窺えない。
(四) 転送について
前記のとおり、元の初診時の症状は、左上下肢をピクピク動かす程度の局部的で軽微な不随意運動であり、意識状態も良好であったため、藤本医師は対症療法を施しつつ、経過観察としたもので、経過観察中に何らかの異常が認められればCTスキャン等の検査措置を受けさせるため、その時点で患者を専門の医療機関へ転送するのがわが国の医療の実情である。
藤本医師は、元の症状が急変するや数分後には病院に赴いて直接診療にあたり、その時点での症状から中枢神経系の異常が強く疑われたため、直ちに脳外科の専門病院への転送を決意し、家族に説明するとともに、自ら付き添い人工呼吸を継続しながら救急車に乗せ、呼吸循環管理のもとに厚生病院に搬送し、患者の症状を説明した上引き継いでいるもので、診療、治療、転送判断ともに正当であって、真摯で誠実な診療を行った。
4 救命の可能性について
劇症脳炎は、急性脳炎のうちでも特に重篤で激しい経過を辿るもので、ウイルス性の日本脳炎またはヘルペス脳炎が大部分を占め、通常、発病から二ないし五日間で重篤な症状を来たし死亡に至るとされており、当時の医療水準に照らし、救命の可能性は絶無である。
また、劇症脳炎は本来発生頻度の極めて少ない疾患であり、殊に元のように発病後僅か一日半で死亡するということは希有のケースである。
しかのみならず、本件当時、劇症脳炎に対する治療法は確立されていなかったことから、これに罹患した者に対しては保存的治療法、すなわち、いわゆる対症療法と全身管理による以外に方策はなく、国立病院から元の転送を受けた厚生病院においても、確定診断がなされないまま、予想的治療を余儀無くされ、結果において国立病院とほぼ同様の治療が施されたものである(国立病院では、脳浮腫防止剤として「デカドロン」を使用したのに対し、厚生病院では「グリセオール」を使用しているが、これは主として患者の症状の段階的相違の故であって、両者の薬効自体に有意の差があるわけではなく、また、厚生病院では抗生物質が使用されているのに、国立病院ではこれが使用されていない点については、本件の場合抗生物質を使用しても薬効に欠けるためその使用が不適切であったと認められることから、右の相違が元の死亡という結果の発生に何らの影響も及ぼしていないことは明らかである。)。
国立病院の藤本医師は、本件当時の医療水準に照らし、劇症脳炎に対する十分の保存的治療を施したものといえる。
そうすると、仮に元が国立病院に入院しているときに劇症脳炎に罹患していることが判明したとしても、元の延命の可能性は絶無であったといわざるをえないから、元の延命利益の侵害に基づく慰謝料請求を認めることは許されない。
5 期待権侵害論について
(一) 診療体制について
国立病院における救急医療体制が第一次救急体制、いわゆる在宅当番医制度を基礎とするもので、その実態は前述のとおりである。
(二) 義務違反について
医療過誤訴訟における医師の注意義務の基準については、最高裁判所が「診療当時におけるいわゆる臨床医学の実践における医療水準」という客観的な基準を確立しているところである。
しかるに、右期待権侵害理論は「医療水準の如何にかかわらず」云々として医療水準とは別個に注意義務の基準を設定しようとするものである。
医療水準の如何にかかわらず真摯かつ誠実な医療を尽くすべき義務を医師に求めるとすれば、医師は緻密、真摯かつ誠実に「診療当時におけるいわゆる臨床医学の実践における医療水準」に拠った診療をしたとしても、なお著しく杜撰、不誠実であるとして注意義務違反だとされる危険に晒され、医師の行動基準は不明瞭かつ曖昧なものとなり、結果的に医師に対し、あらゆる面で不適切な点のない医療行為を施すべきであるといった一般的、抽象的な注意義務を課することとなる。
右の結果、医師の過失を無制限に拡大し、医師に無過失責任を認めることになりかねず、その不当性は明らかである。
藤本医師の義務違反と元の死亡との間の因果関係がないのに、右義務違反により元に生じた精神的損害に対する慰謝料の支払いを認めるいわゆる「適正な医療の期待権侵害論」は、理論上も実務上も採用しえない新奇の理論であって、明らかに失当である。
第三 証拠関係<省略>
理由
一当事者について
一審原告及び亡波多野浩(以下「浩」という。)は、昭和五七年八月一〇日死亡した元の両親であること、浩が昭和六二年一月二三日死亡したこと、一審被告が国立病院を所有し、経営していることは、いずれも当事者間に争いがない。
二診療契約の成立
原審及び当審における一審原告本人尋問の結果によれば、元は昭和五七年八月九日夜、顔のひきつりや痙攣を訴えて、国立病院にその診療を求め、国立病院がこれを承諾したことが認められ、これによれば、元と国立病院との間において、元のこれらの疾患の治療を目的とする準委任契約が成立し、国立病院は元に対し現代の医療水準に照らし十分かつ適切な治療措置を施すべき義務を負担するに至ったといえる。
三元の死亡に至るまでの経過について
<書証番号略>並びに原審証人藤本繁樹、当審証人金子秀子、同原野佐香恵、同伊藤正治、原審及び当審証人福村昭信の各証言、原審及び当審における一審原告本人尋問の結果、死亡前の一審原告浩本人尋問の結果(ただし、後記信用しない部分を除く。)、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、原審及び当審における一審原告本人尋問の結果、死亡前の一審原告浩本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比して信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 元は、当時立命館大学に在学する学生(三回生)であったが、昭和五七年七月二九日、夏期休暇のため控訴人の肩書住所地に帰省した。(右事実は争いがない。)
元は、帰省後、特に変わった様子もなく、海水浴に行ったりして過ごしていた。
2 元は、同年八月九日(日曜日)午前一〇時過ぎに起床したが、朝食を食べず、昼食時にも浩と共に外食に出掛けたものの、吐き気を訴えたため、何も食べずに帰宅した。午後一時過ぎころ、お粥を自宅で食べ、寝ころんだりしてテレビを見て過ごしていたが、夕食も午後六時ころ、お粥を一杯食べただけで、その後もまた寝ころんでテレビを見て過ごしていた。
同日午後九時半ころ、元は「顔がひきつるような気がする。」と言って床についたが、その後も一審原告及び浩に対し、「足ががくがくする。」とか「目が良く見えない。」など異常を訴え、発語も不自由な状態になった。
そこで、一審原告及び浩は、医師に診察して貰う必要があると判断し、近所の開業医に診察の依頼をしたが、体調が悪いことを理由に断られ、診察に来て貰えなかった。同日午後一〇時三〇分ころ、浩は国立病院に電話して元の診察を依頼したところ、医事当直から来院するよう指示を受けたので、一審原告及び浩は自家用車に元を同乗させて国立病院に赴いた。その際、元は自分で靴を履き、介添えなしに一人で自動車に乗り込んだ。
一方、右電話を受けた医事当直は、直ちに当直医師にその旨連絡したところ、当直医師は専門が小児科であることから、電話の内容からみて外科医が診察に当たるのが相当であると判断し、当日の外科の当番医である藤本医師に依頼するよう指示した。医事当直から呼び出しを受けた藤本医師は、病院敷地内の宿舎から約五分で病院に駆け付け待機した。
3 元は、同日午後一〇時四五分ころ、同病院に到着した。
その際、元の歩き方が不安定なため、両親が背負うようにして病院に入り、病院備え付けの車椅子で救急処置室まで運ばれた。
藤本医師は、救急処置室で元、一審原告及び浩に対する問診により、元は当日昼ころから悪心、嘔吐があり、午後一〇時ころには、一分間位左上下肢より右上下肢に移行する全身性の痙攣があったと聞き、元を診察したところ、同人には上下肢にしびれ感があり、ろれつが回らず(発語不調)、顔面左半分に麻痺があり、左右瞳孔不同、左片頭痛等の症状が認められたが、四肢に麻痺はなく、腱反射正常、血圧一七〇ないし九〇mm/Hg、脈拍一〇八毎分の状態であって、元の応答や疼痛刺激反応から意識状態は良好と判断されたので、病名を一過性左片麻痺と診断し、約一〇分間で初診を終えた(右の事実のうち、元が病院備え付けの車椅子で救急室へ運ばれ、藤本医師の診断を受けたことは、当事者間に争いがない。)。
藤本医師は、右診断の結果から、元の症状は重篤な状態ではないが、中枢神経系の疾患である疑いが考えられるので、入院して神経学的精密検査を受ける必要があると判断し、一審原告及び浩に対し、精密検査の必要があることを説明し、神経科の医師が三日後位に来る予定なので、それまで自宅で待機するか入院するか尋ねたところ、一審原告らが直ちに入院を希望したので、同日午後一〇時五〇分ころ、元は経過観察のため入院することとなった。
なお、国立病院には当時CTスキャンの設備はなく、脳外科の専門医もおらず(藤本医師は脳外科の専門医ではない。)、脳血管撮影等の機械はあるものの、その操作のできる医師はいなかった。
4 藤本医師は、準夜勤看護婦三好(勤務時間は、午後四時三〇分から翌日午前一時まで。)に対し、点滴ルートを確保させたうえ、ラクテックG(補液剤)五〇〇ml、ビタミンC五〇〇mg、ビタメジン一アンプル、ソリタT3G(補助剤)五〇〇mlの静脈注射(以下「静注」という。)を指示し、以後は確保してある点滴ルートの三方活栓を使用して、静注の方法により脳浮腫予防のために四時間毎にデカドロン(副腎皮質ホルモン)八mgを、痙攣発作時にはホリゾン(抗痙攣剤)五mgを、興奮時にはアタラックスP五〇mgを、悪心嘔吐にはプリンペラン(制吐剤)一〇mgをそれぞれ注射することと、元の意識状態に注意するよう指示した。
五 元は、同日午後一一時三〇分にストレッチャーで病室に搬送されたが、病室に入る途中において、一審原告らと「入院するなら暑中見舞いを書かんといけんから葉書を買ってきてね」、「今夜は病室におってくれるか」等の会話を交わしており、意識ははっきりしていた。
同時刻ころの元の状態は、体温が摂氏37.1度、脈拍九六毎分、血圧一六〇ないし一二〇mm/Hgであった。
準夜勤看護婦金子秀子(以下「金子看護婦」という。)は、病室に搬送後、元の左手足の先にピクピクと不随意運動が見られることから、その旨藤本医師に報告し、その指示を受けて、アタラックスP(鎮静剤)五〇mgを筋肉注射した後、三好を通じて指示を受けた点滴ルートを確保してラクテックG五〇〇ml等の補液を開始した。
藤本医師は、同日午後一一時三〇分過ぎに、宿舎に帰宅した。
元は、右注射を打たれた後、発汗が激しくなり、発語もできず、いびきをかき寝込む状態で流涙が認められた。
翌一〇日午前〇時ころ、金子看護婦は、デカドロン八mgの静注を行ったが、元は約三〇〇mlの白色胃液を嘔吐し、左上下肢に不随意運動があり、口唇にしびれ感があり、発語が不自由なため、いらだって興奮気味であった。
元が発熱している様子のため、一審原告は、氷枕を自宅に取りに帰り、元に氷枕をあて、元の手を握ってやったりしているうちに、同日午前〇時三〇分ころ元の興奮もやや治まったが、口からは唾液が流れていた。
同日午前〇時四五分ころ、元は再び一〇〇mlの胃液様のものを嘔吐し、口をがくがくさせ、舌をかみそうになったりした。金子看護婦は、直ちに藤本医師に電話で元の症状を報告し、その指示により、ホリゾン五mgの静注を行った。
右静注の結果、同日午前一時ころには元の症状は鎮静し、血圧一五〇ないし一〇〇mm/Hg、脈拍七八毎分となった(右事実のうち、準夜勤看護婦が八月一〇日午前〇時四五分ころ、元に抗痙攣剤を注射したことは、当事者間に争いがない。)。
6 同日午前一時ころ、担当看護婦は、深夜勤(勤務時間は、午前〇時三〇分から午前九時まで。)の看護婦原野佐香恵(以下「原野看護婦」という。)に交代した。
同日午前一時ころ、元は名を呼ぶとかすかに開口するような状態であった。
同日午前一時三〇分ころ、導尿が行われたが、左上下肢に痙攣発作が認められ、午前一時五〇分ころには、激しい嘔吐、発汗があったため、原野看護婦は藤木医師に電話で、元の症状を連絡した。
原野看護婦は藤本医師の指示により、同日午前二時ころ、アタラックスP50mg及びプリンペラン一〇mgを静注した。
同時刻ころの元の血圧、脈拍等に特に変化もなく、異常な点も認められなかったが、そのころから元は再びいびきをかき出し、息づかいが荒くなった。
元は、同日午前二時二五分ころから三〇分ころにかけて、再び不随意運動を始め、対光反射において、右眼が散瞳の状態になり、同四〇分ころには呼び名しても発語がなく、意識レベルが著しく低下した。(右事実のうち、元が午前二時ころから、いびきをかき出し、息づかいが荒くなったことは、当事者間に争いがない。)
そのため、原野看護婦は同日午前二時四〇分過ぎころ、藤本医師に対し、元の意識状態が非常に悪化した旨を電話連絡した。
7 右連絡を受けた藤本医師は、同日午前三時ころ、病院に駆けつけ診察したところ、元は意識レベルが下がっており、舌根が沈下していて気道閉塞のおそれがあるため、その予防のため、気管内挿管によって気道確保を行うこととしたが、元の下顎の緊張が強くその挿管ができないことから、国立病院の船本正明医師の応援を求め、下顎の緊張をほぐすため、筋弛緩剤(ミオブロック)を使用したが、これにより自発呼吸が停止するおそれがあるため、バックマスクにより元に酸素の供給を継続しながら、約四〇分間かかって同日午前三時四〇分ころ、漸く気管内挿管を完了し、人工呼吸器(バードレスピレーター)を装着した。
なお、右気管内挿管作業中、バックマスクによる酸素の供給が継続されていたため、元の身体にチアノーゼは認められなかった。
人工呼吸器の装着により、元の血圧、脈拍は比較的安定したものの、体温が摂氏四〇度以上あり、上半身を中心に発汗があるため、藤本医師は氷嚢を元の頸部、腋下部、鼠けい部にあてたり、アルコールを塗ったりして、低体温療法を施した。
8 藤本医師は、元の意識状態が低下し、高熱を発するようになったため、中枢神経系統に異常があると強く疑い、脳外科の専門病院に転送して、CTスキャン等による精密検査によって、原因を明らかにする必要があると判断し、一審原告及び浩にその旨説明し、その了解を得たうえ、厚生病院に連絡し、同日午前五時四〇分ころ、藤本医師は元を救急車で酸素の供給をしながら同病院に搬送し、同日午前六時過ぎころ、同病院に到達し、脳神経外科の弥富親秀医師(以下「弥富医師」という。)に引き継いだ。
9 元は、弥富医師が引き継いだ時点では、自発呼吸があり、項部硬直はないが、両眼散瞳、半昏睡状態で除脳硬直が認められ、重篤な状態に陥っていた。
同日午前八時過ぎころ、同病院脳神経外科部長福村昭信医師(以下「福村医師」という。)が診断したが、元の症状は弥富医師が診断したときと変わりがなかった。
厚生病院においては、元の症状が重篤なため、直ちに元に人工呼吸器を装着して呼吸状態を良好に保ち、抗痙攣剤、解熱剤を投与し、全身冷却、補液、ステロイド副腎皮質ホルモン、グロブリン製剤、脳圧降下剤(グリセオール)を使用するという対症療法を行う一方、CTスキャンの検査で異常な出血所見が認められず、髄液検査の検査、髄液圧が高くないことから、同日午前一一時ころ、日本脳炎の疑いが強いと診断し、元を中央病院へ転院させることを検討したが、元の症状が重篤で危険な状態のため、そのまま対症療法を継続した。しかし、元は同病院で同日午後一一時四〇分ころ死亡した(右事実のうち、元が同日午後一一時四〇分ころ死亡したことは、当事者間に争いがない。)。
四被控訴人の責任について
1 元の死因について
<書証番号略>、並びに原審証人藤本繁樹、当審証人伊藤正治、原審及び当審証人福村昭信の各証言によれば、次の事実が認められる。
(一) 元の症状は、脳腫瘍、脳炎あるいは先天的血管障害等の原因が疑われるが、CTスキャンの検査で異常な出血所見が認められなかったことから、脳出血、クモ膜下出血、脳腫瘍、外傷による脳挫傷等の原因がまず否定される。
(二) 項部硬直が認められず、髄液検査の結果、糖がやや高値(細胞数リンパ球六個、蛋白二〇mg毎dl、糖一八〇mg毎dl)を呈しているが、髄液圧はあまり高くなく、髄膜炎の疑いも否定される。
(三) 藤本医師が診断した初診当時は、元には上下肢にしびれ感があり、言語障害、顔面左麻痺、左右瞳孔不同等の症状は認められたものの、四肢に麻痺はなく、意識障害は認められなかったこと、その後、脳炎特有の症状である高度の意識障害、高熱、痙攣、除脳硬直、両側瞳孔散大、対光反射消失等の重篤な症状が現われ、しかもその症状は短期間に急激に変化していったものであり、白血球数が多く、血球の膨張変性も認められたことから、ウイルス性脳炎の疑いが強い。
そうすると、解剖所見がないため、確定的診断はできないものの、ウイルス性脳炎特有の症状が認められ、その症状が短期間に急激に変化していったことからみて、他に特段の事情の認められない限り、元はウイルス性の劇症脳炎(そのうち、日本脳炎もしくはヘルペス脳炎の可能性が高い。)に罹患し、全身状態の悪化による心停止により死亡したものと認めるのが相当である。
一審原告は、元が頭蓋内圧亢進による全身症状の悪化により死亡したと主張するが前記のとおり、髄液検査の結果によっても髄圧等に異常が認められない点からみて、頭蓋内圧亢進はこれを認め難く、他に控訴人の右主張を認めるに足る証拠はない。
2 藤本医師の過失について
(一) 初診時の対応について
藤本医師が元を診断した昭和五七年八月九日午後一〇時三〇ころ、同人には左上下肢にしびれ感があり、ろれつが回らず(言語障害)、顔面左半分に麻痺があり、左右瞳孔不同、左片頭痛等の症状が認められたが、四肢に麻痺はなく、腱反射正常、血圧一七〇ないし九〇mm/Hg、脈拍一〇八毎分の状態であって、異常所見はなく、元の応答や疼痛刺激反応から意識状態に異常な点は認められず、緊急に外科的手術を必要とする内出血等の徴候もなかったのであるから、藤本医師が元を同病院に入院させ、対症療法を施しながら症状の経過観察をすることとしたのは相当の処置であったといえる。
(二) 専門病院への転送義務について
一審原告は、元の症状には初診時に中枢神経系の疾患に罹患している疑いがあったのであるから、直ちに病状確定のための検査をすべきであり、あるいは脳神経外科医のいる専門病院に転送すべきであったと主張する。
しかしながら、当審証人福村昭信の証言によれば、中枢神経系の疾患に罹患しているか否かの確定診断のためには、CTスキャン、髄液検査及び脳波検査の三検査の方法があるものの、右検査はいずれも除外項目を探すためのものであって、それのみをもって確定診断ができるものではなく、確定診断に必要な諸検査の結果が判明するまでには数日を要することが認められ、前記認定のとおり、厚生病院において実施したCTスキャン検査の結果によっても、異常な出血所見が認められず、髄液検査の結果によっても、髄圧に異常は認められていないことからみて、仮に初診時に右検査をしていたとしても、元の症状について、確定的診断ができた訳ではなく、適切な治療に結びつけることができた訳でもないから、藤本医師が直ちに確定診断に必要な諸検査を実施しなかったことが、その後の診療行為の内容に影響を与えたものとも認め難いところである。
しかのみならず、元の痙攣等の症状が局所的でかつ軽微なものであり、意識状態が良好と認められた以上、藤本医師が直ちに諸検査を実施せず、また専門病院に転院させることなく、経過観察をすることとしたことは、当時の臨床医学の実践における医療水準に照らし、医師の裁量の範囲内のものとして是認されるべきであり、藤本医師が直ちに諸検査を実施し、あるいは専門病院に転院させなかったからといって、過失があったものということはできない。
(三) 元の死亡との因果関係について
元が、ウイルス性の劇症脳炎(そのうち日本脳炎あるいはヘルペス脳炎の疑いが強い。)に罹患し、全身状態の悪化による心停止により死亡したものと認めるのが相当であることは、前記認定のとおりであるが、原審及び当審証人福村昭信、当審証人伊藤正治の各証言によると、ウイルス性の劇症脳炎に対しては、当時有効な治療薬は開発されておらず、治療としては、症状に応じて解熱剤、抗痙攣剤、鎮静剤、制吐剤その他補液剤等を投与するなど、対症療法を内容とする全身管理の方法しかなく、死亡率は極めて高く、通常発病してから二日ないし五日で重篤な症状を来たし死亡するとされており、元のように一日半で死亡する事例は希有に等しいことが認められる。
したがって、ウイルス性の劇症脳炎か否かの診断には、数日を要し、しかも、当時有効な治療薬が存在しなかったこと、脳外科の専門病院である厚生病院における治療内容も、対症療法の域を出ず、国立病院の治療内容と大差はなかったことを考えると、元の救命の可能性は絶無に等しかったものと認めるほかなく、元がウイルス性の劇症脳炎に罹患していることの診断が早期になされ、直ちに脳外科の専門病院に転送されていたとしても、元には救命の可能性はなかったものといわざるを得ない。
そうすると、この点からも、元の死亡に基づく損害について、藤本医師に不法行為ないし債務不履行の責任があるとして、その責任を問うことはできないものといわなければならない。
(四) 元の入院後の診療内容(延命の可能性)について
一審原告は、藤本医師が元の初診当時の症状から、中枢神経系の疾患に罹患していることを疑いながら、宿舎に帰り、症状が急変する一〇日午前二時四五分ころまで、看護婦から連絡があっても、直接元を診察することなく投薬の指示を出すのみで、経過観察を夜勤看護婦任せにしていたため、元の症状の変化に対応する正確かつ迅速な処置がなされていない、藤本医師が元を再度診察した時点では、元の症状は極限状態に達しており、気管内挿管にも四〇分を要するなど、緊急の事態に対する臨機の措置が遅れ、元の全身状態の悪化に繋がったと主張する。
しかしながら、原審証人藤本繁樹の証言によれば、昭和五七年八月当時国立病院の夜間における診療については、当直医制度が定められており、外科医の診療を必要とする場合には、三名の外科医師のうち予め定められている当番医師が担当することとなっていたこと、夜間の診療に従事したとしても、翌日は休暇日とならず、昼間の通常の勤務につくように定められていたこと、同月九日藤本医師は当番医師として、元の診察を担当したものであること、藤本医師の宿舎は病院敷地内にあり、短時間のうちに駆けつけることが可能であったことが認められる。
しかして、前記認定のとおり、藤本医師の初診当時、元の痙攣等の症状が局所的でかつ軽微なものであり、意識状態が良好と認められた以上、元の症状の経過観察については看護婦に任せ、直接診療にあたらなかったことが、不誠実な診療態度であったということはできない。
また、前記認定のとおり、同月一〇日午前〇時五〇分ころ金子看護婦から、午前一時五〇分ころ原野看護婦から、元の症状について報告があったが、その内容からみて元が重篤な状態に陥ったものと判断することは困難であり、藤本医師の指示による注射等により、元の症状がその都度鎮静化していることが認められるから、右の時点において、その後の症状の急変を予測することは困難であり、その診療内容が不適切なものであったということもできない。
同日午前二時四〇分ころ、元の症状が急変し、同日午前三時ころ藤本医師が連絡を受けて病院に駆け付け診察したところ、元の意識レベルが下がっており、気道閉塞のおそれがあるため、気管内挿管をし、人工呼吸器を装着しようとしたが、その作業に手間どったことは、前記認定のとおりであるが、時間を要した理由は元の下顎の緊張をほぐすため、筋弛緩剤を使用する必要があったこと等によるものであって、藤本医師の右作業に格別不手際があったものとは認め難く、右作業中バックマスクにより、酸素の供給を継続していたことから、元の身体にチアノーゼ等は認められておらず、人工呼吸器の装着後は、元の血圧、脈拍は比較的安定していることが認められるのであるから、元の症状急変後の藤本医師の診療行為に過失があったとは認め難く、藤本医師の対応の遅れが、元の全身状態の悪化を招いたということもできない。
更に、前記認定のとおり、藤本医師は、午前三時ころ再び元の症状を診察し、その症状から中枢神経等に異常があると強く疑い、脳外科の専門病院に転送して、精密検査をなし、原因を明らかにした上治療を受ける必要があると判断し、一審原告及び浩らの了解を得たうえ、藤本医師は元を救急車で酸素の供給をしながら厚生病院に搬送し、同日午前六過ぎころ、同病院に到達し、脳神経外科の弥富医師に引き継いでいるものであって、右転送の間に藤本医師の診療行為に格別不適切な点があったとは見出し難い。
以上認定の事実によれば、藤本医師の診療態度に不誠実な点があったとは認め難く、夜勤看護婦の経過観察に任せている間にも、再三にわたる看護婦からの報告を受け、その都度適切な指示をなし、元の症状が急変したとの連絡を受けた時は、速やかに病院に駆け付け、医師として最善の措置をとっていることが認められる。
また、元がウイルス性の劇症脳炎(そのうち、日本脳炎あるいはヘルペス脳炎の可能性が強い。)に罹患していることを早期に診断すること自体が極めて困難であるばかりでなく、当時その治療方法が確立していなかったことからみて、直ちに診療体制の整った脳外科の専門病院に転送していたとしても、元に延命の可能性があったとは認め難く、藤本医師の治療内容にも格別不適切な点は見出し難い。
よって、この点につき、藤本医師に不法行為ないし債務不履行の責任があるとして、その責任を問うことはできないものといわなければならない。
五期待権侵害の主張について
一審原告は、元が患者として当然期待しうる診療や治療を受け得なかったと主張するので判断する。
医師が診療行為をなすにあたり注意義務の基準となるものは、一般的には診療当時におけるいわゆる臨床医学の実践における医療水準であり(最高裁判所昭和五七年三月三〇日、第三小法廷判決、民集一三巻五号五六三頁参照。)、医師は、患者との特別な合意がない限り、右医療水準を越えた医療行為を前提としたち密で真しかつ誠実な医療を尽くすべき注意義務まで負うものではないと解すべきである(最高裁判所平成四年六月八日第三小法廷判決、裁判集民事一六五号一一頁参照。)。
本件について見るに、元が発症してから死亡するまでの症状の変化が急激であったこと、その症状につき短期間内に確定的診断をすることは困難であったこと、その死亡原因、国立病院における藤本医師の診療内容等は、前記認定のとおりであるが、当時日本脳炎またはヘルペス脳炎に罹患した患者に対する有効な治療方法がなかったことからすれば、藤本医師の診療行為が臨床医学の実践における医療水準に照らし、格別不適切なものであったとは認め難く、また治療につき特別の合意をしたとの主張立証はないから、藤本医師には本症に対する有効な治療方法の存在を前提とするち密で真しかつ誠実な医療をなすべき注意義務はなく、藤本医師のなした前記診療行為以上の医療行為を期待する余地はなかったものというべきである。
六以上によれば、藤本医師に不法行為あるいは債務不履行の責任があることを前提とする一審原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないから、これを棄却するほかはない。
よって、一審原告の請求を一部認容した原判決は失当であるから、原判決中一審被告の敗訴部分を取り消して一審原告の請求を棄却し、他方、一審原告の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官新海順次 裁判官古川行男 裁判官岡原剛)